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≪生粋の日光がここに≫ 『日光老舗名店会』 とは

山岳信仰を起源とし1200有余年の歴史を持つ日光は、『日本の聖地・世界の日光』として独自の発展を遂げて参りました。そんな世界にも誇る歴史・文化を持つ日光には、これまで多くの店舗・企業が興きては亡え、淘汰を繰り返し、その中で生き残ってきた店舗が現在老舗・名店と呼ばれ、日光の一端を支える存在となっております。

日光にはその土地柄、天皇を始め皇族方や政府の役職者・文化人など多くの知識者層が訪れ、それらの方々のニーズに応えるべく、老舗・名店と呼ばれる店舗・企業は、全国レベルの優秀な技術を身につけ、それらの作り出す製品は、日光名物として長い年月多くの人々から愛され続けております。日光湯波・日光羊羹・日光唐辛子・・・等の日光ブランド、日光を訪れる人々にとって、それらは旅に彩を添えるものとしてなくてはならない存在であり、その存在自体が日光の一つの文化であると言えましょう。

時代はバブル経済のピークに向けて、大量生産・大量消費へと突き進みました。そして名ばかりの「日光名物」が多くの広告と共に氾濫し、「名物に美味いものなし」の言葉が真実味を帯びてくるようになって参りました。このような状況はバブルが崩壊しても続いております。

そんな中、日光ブランドを築き上げて来た17の老舗・名店が、生粋の日光の味を守り・発展させるべく結束いたしました。聖地日光を訪れた方々に、真に上質な製品をご提供し、気持ちよくお帰りいただき、またお越しいただく。このことをモットーに日光老舗名店会は、これからも聖地日光の繁栄ため、精進して参る所存でございますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

≪会規約より抜粋≫

【目的】

本会は、世界遺産『日光の社寺』を中心として生まれた様々な日光独自の食文化を、其々の会員の家業を通して維持・発展させていくことにより、日光東西門前町の振興を目的とする。

【会員資格】

本会員は、日光東西門前町に所在し、日光独自の食文化に関わる業態を三世代以上営む老舗又はこれに準ずるもので、市民並びに来晃者から名店として広く認知されている店舗及び企業を以って組織する。

《 ロゴマークについて 》

このロゴマークは、日光の中心に位置し日光の聖域と門前町をつなぐ朱色の橋 世界遺産『神橋』をモチーフにデザインされたものであります。3つのつながった柱は日光門前町の老舗や名店の結束を表し、その上に燃え盛る炎の如く輝く3つの擬宝珠(ぎぼし)はそれぞれ世界遺産 東照宮・輪王寺・二荒山神社を表しております。日光の社寺と門前町とが一つにつながり共に光り輝く様を表現しております。

【日光山略史】

奈良時代仏教が伝来すると、朝廷は仏法で国を治めようと、大和(奈良県)の他に、西は大宰府(福岡県)、東は下野(栃木県)にそれぞれ薬師寺を建立しその拠点としました。下野で仏教を学んでいた勝道上人は、朝日に輝き夕日に浮かぶ日光の山々に神秘を感じ、様々な苦難の末、天平神護2年(766年)日光を開山し、輪王寺の前身である四本竜寺と二荒山神社を造ります。その後日光は、山岳信仰を中心に神仏習合の一大聖地として信仰を集めるようになります。初代征夷大将軍の坂上田村麻呂も蝦夷征伐に向かう際、日光山に立ち寄り戦勝祈願を行ったということです。鎌倉時代には、日光は鎌倉の真北に位置することもあり、源頼朝を始め幕府の信仰を集め大いに発展いたします。

戦国時代、日光山は北条方に付いたため、豊臣の世になると一時衰退いたしますが、徳川が天下を取ると情勢は一変します。天海大僧正の影響を受け、遺言により、家康は日光に東照大権現として祭られ、日光は「日本の聖地」となります。三代将軍家光により東照宮が今の形に大造営され、天海そして家光までもが日光に葬られます。日光には毎年朝廷から例幣使が使わされ、後には天皇の兄弟が輪王寺宮として日光山を統括するようになりました。

徳川の世も終わりを迎え戊辰戦争時、幕府軍の一部が日光山に立てこもり戦禍の危機にさらされますが、官軍の将 板垣退助などの功により免れます。その後も明治の神仏分離令により、東照宮を始め日光山の堂塔の一部を壊す動きがありましたが、当日光老舗名店会の会員「しそ巻きとうがらし 落合商店」の先祖 落合源七らが明治天皇に直訴し危機を救いました。この神仏分離令によりもともと一つであった日光の社寺は、東照宮・輪王寺・二荒山神社の三つに別れ現在に至り、1999年12月に二社一寺それぞれがユネスコ世界文化遺産に登録されました。